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ハウル@矢野


2015年10月21日 宍道湖に浮かぶ神秘の嫁が島に上陸しました!

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10月12日(月)にぼくはお父さんのお仲間たち11人とキララちゃんとで宍道湖にる

嫁が島に船で渡ってきました。

お天気が心配だったので、ぼくはレインコートを着て出かけました。

このイベントは10月10日から12日までの3日間限定だそうです。

昨日の11日は低気圧の影響で大荒れの宍道湖でしたのでイベントは中止になったそ

うです。

この日も朝はくもりだったのですが、案の定、低気圧の影響が残り、天候は雨時々く

もりで風邪もやや強風状態でした。

雨の闇まを待って運行すると受付のおじさんが言っています。

ぼくたちは、受付のテントで約30分待ちました。やっと少し晴れ間が見えてきたので

出港する事になりました。渡船の発着場所は県立美術館の横の岸公園です。おじさん

に案内されて樹で造った桟橋を歩いて船まで向かいました。

湖面は風邪も強く水は茶色に濁っています。波も荒く木の葉のように船が揺れました

。少し表現が過剰でした。こんなに揺れる船はぼくも初体験で、船酔いしそうな勢い

でしたよ。

ちなみに船は28人乗りの屋根付きのボートです。料金は大人一人往復で100円(障

害者割引は500円)でした。

ぼくとお父さんは、船の一番前に座りました。

出港地点からは約220mですので乗ったと思ったらあっというまに嫁が島の北側に

に到着で

す。島は南北30m、東西110m、周囲240mあり、陸地からだともっと小さい

と思っていましたが案外広いようです。船を降りると、島にはテントがあり、抹茶と

和菓子の接待(300円)を受ける人もいましたよ。

早速、ガイドのおじさんが島の説明を始めました。

この島は、考古学的に言うと今から1200万年前、第三紀中新世の火山活動により噴出

した玄武岩でできた島だそうです。島は今は、真ったいらになっていま

すが岩の部分を削って松江城の築城の時に石垣として使ったようです。

『出雲国風土記』意宇郡条においては「蚊島」と表記されています。当時は周囲が約

110m と今の半分ほどの大きさで、島の中央には径7〜8cm ばかりの木が一本生え、礒

には貝や海草が見られたとあります。

この島には1つ悲しい伝説があるそうです。

姑にいじめられた若嫁が寒さに凍った湖上を実家に帰る途中、氷が割れて水死し、そ

れを哀れんだ湖の神様が一夜にして島を浮かび上がらせたとのストーリーが残されて

います。それ以来、嫁が島と呼ばれるようになったそうです。ぼくには嫁舅の問題は

意味不明だなあ。

悲しい伝説の方が日本には多いようですね。

島には弁財天を祀る竹生島神社の祠(1611年に堀尾忠晴が祭った)と鳥居(1907年に

琵琶湖疏水設計者の田辺朔朗が寄進)があり、周囲には松が植わっています。1935年

に松江出身の総理大臣の若槻礼次郎が数本の松しかなかった島に20本の松の苗を植樹

したとの事です。消波ブロックとして、如泥石(松江藩の名工・小林如泥が考案した

とされる円柱形の来待石)で島の周囲が固められています。

とガイドのおじさんがお話をしていました。ぼくの記憶はすごいなあ。

年に数回、湖岸から張られたロープを伝って島まで渡るイベント「嫁ヶ島に歩いて渡

ろう」が開かれるそうです。水深も最大130-

140cmと浅く、子供も多く参加するそうですが、ぼくは水は苦手なので無理そうです

。松江城創建者の堀尾吉晴が天守閣からの眺めに感動して嫁ヶ島を「湖中の一勝地な

り」と評したそうです。それ以来松江城天守閣からの眺望を阻害するような建物はて

る事が出来ないそうですよ。

あの小泉八雲(へるん)さんも嫁が島が夕日のシルエットに見える嫁が島を出雲そばを

食べながら見るのが好きだったそうです。

島に上陸してからあっという間に1時間が過ぎていました。そろそろ帰る事になりま

した。ガイドのおじさんに御礼を言って島をあとにしました。

帰りの船では波もおさまっていましたので少し安心して乗船できました。

受付テントの近くではかに汁、鳥の空揚げ、焼きそば、どんぶり物その他飲物の屋台

が出ていました。ちなみにかに汁は1杯100円だったのでお父さんはすすっていま

した。。

このころからまた雨が降り出し、風邪が寒く体が冷えてきましたので、急いでバスに

乗り込みランチの会場へと向かいました。

天候には恵まれませんでしたが記念に残る体験でした。

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_ みほりん [嫁が島上陸!貴重な体験されて良かったですね~。 でも船が揺れたのはちょっと大変でしたね。私も苦手です。 詳しいレ..]