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久美子&ジフィー


2016年01月02日 紹介状を [長年日記]

_ 12月22日は、

今年 最後の 娘の 県立中央病院に 見てもらうために 出かけることになってい

ました。

そんな時、

三日前に 

移した エムアールアイが 出来てきました。

かかりつけの、

先生は、

急いで 病院で 検査して下さいと、

言われました。

私は、

それなら、

22日は、

娘が 今年 最後の しんさつに行きますので、

そこで お願いしたいとのことを、

言いました。

その日は、

車がスムーズに 県立中央病院に 付きました。

私は、

手続きを して 待ちました。

暫くすると、

耳鼻科で 私は 呼ばれ 中に入りました。

先生は、

いろんな検査があることを、

言いました。

私は、

胸騒ぎが起きてきました。

検査につかれ 黙っていると、

娘が 呼ばれ お母さん 今日は 言えには 帰れないからねと、

言い出しました。

私は、

なぜなのと 聞くと これは なるべく 早くに 手術が 必要になるからだとのこ

とでした。

私は、

じゅんびは 何もしていないし このまま ここに のこるのは いやだからねと、

話していました。

すると、

脳外科の 日高先生が、

岩谷さん これは 鼻の後ろにあるものですが ここに 大きなものが さがってい

ますね。

それが、

目や 鼻 頭のほうまで 影響が 出ています。

更に、

下垂体と 脳との境の骨までが 溶けてないみたいです。

すると、

脳脊髄液が 鼻や 口の中に 流れてきます。

いちばん、

怖いのは 脳のほうまで 腫れていることです。

ですから、

早急に 手術を したほうが いいとのことでした。

何が どうなったのか わからないまま、

そのまま 入院しました。

更に、

私は 色んな薬を 飲んでいましたので、

それらの 飲み合わせなども 考えてくれました。

一人で、

廊下を 歩いていると 看護師さんが、

大丈夫ですかと 寄ってこられました。

私は、

要所要所に おおきな 洗濯ばさみを 付けて へやまでに戻るにつれて、

洗濯ばさみを 回収していきました。

それを、

見ていた 看護師さんは それで歩けるのですねと、

微笑んでいました。

手術の日が来ました。

私は、

点滴を しながら 車いすで 手術室に向かいました。

私は、

麻酔が 聞きにくいので お願いしていました。

岩谷さん、

イスから 降りて ベットに 横になりましょうねと、

声を 掛けてくれました。

すると、

いしきがなくなり 主治医の 木村先生が、

岩谷さん 終りましたよと、

耳元で 話して おこしてくれました。

岩谷さん、

手術は 成功しましたからねと、

話してくれました。

私は、

次の朝 目がさめました。

そこには、

看護師さんが 見ていました。

大変だったのは、

娘の 美佐子でした。

12月22日 23日 26日 27日から28日は、

私のところに きてくれていました。

娘も、

病気があるので とても 心配でした。

途中、

主人 娘 などに 説明がありました。

先生は、

脳との 境の骨は 溶けてありませんでしたが、

脳の幕が 厚かったので 脳脊髄液は 漏れていませんでしたと、

言いました 原因は わからないとのことでした。

手術によって、

取り出した 物質には ものを 溶かす力が ある見たいとも 話していました。

私は、

本当に 生きているんだと 心より 喜びを かみしめています。

耳鼻科の木村先生 打田先生 脳外科の 日高先生、

本当に ありがとうございます。

また、

看護師さん方にも 大変 お世話になりました。

これからは 健康面に 十分 気を付けていきたいと、

心より 思います。

本当に ありがとうございました。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]
_ みほりん (2016年01月06日 21:03)

大変でしたね。びっくりしました。<br>ほんとうに無事に手術が成功して回復に向かわれて・・・<br>良かったですね。ちょっと安心しました。<br>くれぐれもお大事になさってください。