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久美子&ジフィー


2015年01月26日 血のつながり

_ 私の、

兄弟は 3人います。

姉 兄 そして 末の私です。

私が、

1年生になり、

友達も だいぶ 増えました。

そんなときに、

香港風邪Aにかかりました。

この病気は 沢山の人がなくなり 私は、

助かりました。

でも、

目が見えないことで、

先程まで 友達として 仲良くしていた 友達から 久美子ちゃんと 遊んでは い

けないと お母さんに 言われたから 遊ばないと言い 離れていきました。

そんなときに、

3歳上の、

兄が ぼくが 学校に 連れて行くから 心配ないと話してくれました。

兄は、

細めの 棒切れを 探し これを、

使いなさいと 持たせてくれました。

それは、

今でいう 白杖だったと 思います。

兄は、

私の手を しっかり握り あるいてくれました。

学校では、

私は黒板が 見えないので イスに腰掛けボーッとしていました。

時々、

休み時間には 兄は 私の様子を、

見に来ていました。

学校から 兄が 手紙を 預かり 持ち帰りました。

母 姉 兄は、

手紙を 見て泣いていました。

それには、

目が見えないのに ここにいても 本人の ためにならないから 学校を 変わるよ

うにと 書いてあったみたいです。

それからは、

私は 家に残りました。

それから、

しばらくして 兄が けがを して戻ることが おおくなりました。

母は、

理由を 聞いても 兄は 言いませんでした。

母は、

兄と なかのいい子に 聞きに行きました。

すると、

原因が わかりました。

私が、

目が見えないことで いじめが あったとのことでした。

母は、

いじめを した家に行き このことを 話しました。

すると、

まあ あなたも 大変ね これから  めくらの子供を 見ていかないと いけない

のね、

と 笑ったそうです。

母は、

ご主人は いないのですかと 大きな声で よぶと 静かに 出てきたそうです。

母は、

子どもには 何の関係もないのに 苛められては こちらにも 覚悟があると いい

戻りました。

それでも、

私のために 兄は 暴力を 受けたみたいです。

それからは、

姉も 兄も 言えにいることが おおくなりました。

そんなときに、

スポーツしていた 先生から たもつ君は 足が速いから 陸上に はいらないかと

さそわれて 出るようになりました。

兄は、

だんだんと 声が 明るくなってきました。

私が、

目が見えなくなり もう 2年 たちました。

家族は 盲学校に 入れる話を していましたが 私には、

何も 言わないで 八戸盲学校に 入れました。

私が、

困ると すぐに兄が来て 守ってくれました。

姉は、

将来は 看護士になるからねと いい 本当に 看護士になりました。

母は、

わたしたちの なかのいい 子どもがいて よかったと 涙を ながしていました。

その母も、

67歳で なくなりました。

今は、

東京の 兄が お墓を 守っていてくれています。

姉は、

沖縄県に嫁ぎ ときどき、

子どもたちの好きな ものを 送ってくれます。

また、

電話では 娘の 難病について 心配してくれています。

私は、

今でも 家族には 守られていることが 本当に ありがたいと 思う今日この頃で

す。

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_ みほりん [お母様 お姉さん お兄さん ・・・いつも見守ってくださっていますね、家族ってほんとうにありがたいですね。]